松任谷由実のノーサイドといえばラガーマンの応援歌
ラガーマンの息子を持つわたしも、この曲を聴くと決まって涙が出ます
このノーサイドはモデルがあるんです。そのエピソードをご紹介します

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松任谷由実のノーサイドのモデルって

取り壊された旧国立競技場の最後の早明戦でユーミンが登場してノーサイドを熱唱しました。
国立競技場が感動的なムードにつつまれたそうです
しかし、あの国立競技場がこんな問題になるなんて。。。
ワールドカップには間に合わないけど、しっかり意味のあるスタジアムを作って欲しいですね

ユーミンのノーサイドのモデルは

ユーミンのノーサイドのモデルは昭和59年の全国高校ラグビーの決勝戦の大分舞鶴高の背番号15の福浦さんだそうです
全国高校ラグビー決勝戦の天理高(奈良)と大分舞鶴高(大分)の試合は18-12で天理リードの終了間際に大分舞鶴が意地のトライ。ゴールキックを決めれば同点で両校優勝という場面にチームの主将フルバックだった福浦孝二さん(現大分県別府市立別府商教諭)が外し、ノーサイドを迎えたそうです。

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それだけなら、ラグビーの試合によくある場面ですが、
その福浦さんは、決勝当日が鹿屋体育大学の受験と重なり、本来なら試合に出場できなかったのですが、大学側の特別措置で試合当日の早朝6時から試験を受け、飛行機に飛び乗って花園ラグビー場へ。最後の最後にチームの命運を握るキックを蹴った。というすごくドラマチェックなエピソードがあるのです

30年後に歴史に残る名勝負が再現

その歴史に残る試合を戦った当時の部員らが集まり30年の歳月を経て、再現されたそうです
いずれも40代後半となったメンバーたちは戦いを精いっぱい楽しんだようでしす
結果は大分舞鶴が41−22で勝ち、30年前の雪辱を果たしたそうです。

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